目の前は闇。 深く深くただ沈むだけの闇。 そして同時に深紅。 暗い視線を巡らす。 そしてその暗さはいつもは上がっているはずの髪が降りているからだと気付いた。 左手でかきあげようと動かすが…あぁ。 俺の目が捉えたのは、空虚だった。 思わず笑おうとして、失敗する。 声の代わりに出たのは、意味のない赤黒い液体だった。 「げぼッ…」 それでも懸命に顔をあげると、その先に…誰かの一部をくわえた生き物がいた。 誰か…? 誰か、だなんてなんてわざとらしく曖昧な言葉。 あの指先を知っている。 あの手のひらを知っている。 あの肘を知っている。 あの腕を知っている。 …あれは確かに、俺のもの(腕)だったはずだ。 残った方の腕で半身をあげる。 だが離れた時点で、もうあんなものは不要なものだ。 意味のないものに執着などしない。 ただの肉片になりさがったものになど。 痛みを通り越したのか、ただ熱いだけの左半身。 それは幸いだったろう。 痛みは判断を鈍らせる。 生きなければならない。 あの生き物から離れなければ。 あの肉が食い終わる前に、離れなければ。 生きるために。 動かない右足。 立ち上がれない脆弱で壊れかけた身体。 俺の器でしかありえないものでも、これが壊れれば…俺は消え失せる。 まだ消えるわけにはいかない…! 跪いても。 みっともなくても。 まだ、死ぬわけにはいかないんだ! 右腕だけでズルズルと体を引きずりながら、ただただ懸命に前に進んだ。 生きる方へ。 …生きる方へ! 「…おや」 すると、目の前に誰かの足が見えた。 人間だろうか。 もう顔を上げることもできなかったが…動く腕を前にのばした。 魔物でも…悪魔だっていい。 触れた先を思い切り握る。 離さないように。 決して! 「生きた人間がまだいるとはね」 笑い声を耳で聞いた。 ぼうっとする頭で認識するのは後でもできる。 どうせ忘れない記憶だ。 「…面白い」 不快な声で言いながら、そいつは俺の腕を払うように蹴り上げる。 勢いのままうつ伏せだった体は仰向けになった。 …感覚のない右足は、有り得ない方向に向いている。 「選ばせてあげましょう」 何がそんなに楽しいのか。 あぁ俺まで笑えてきてしまう。 …見上げた先に、あの生き物が見えた。 光を弾くように輝く長い髪をなびかせて、無駄にキラキラしているなと思わず皮肉に笑う。 来るならば、天使ではなく悪魔だろうに。 雄叫びをあげながら襲いかかる魔物。 それをものともせずに、天使は問う。 「死か、生か」 高い音をたてて光が横切る。 低い音をたてて魔物がバラバラに砕ける。 …あぁ。 そんなもの、当たり前だ。 答えなど、初めてから決まっているだろう。 どんな代償があるだろうが…天使よ。 「…しね、な…い」 まだ死ねない。 まだ死ぬわけにはいかない。 天使の笑顔を見ると、俺の意識は一気に闇に引き戻される。 …大丈夫。 まだ、走馬灯は走らない。 →[1]へ |